初めに
2022年9月22日をもってオーストラリアにきて丸3年が経ち、そして4年目に突入します。まさか自分がオーストラリアに3年も滞在して、そして引き続きいることになるとは最初に来た時には想像もしていませんでした。そこでこれまでの経験や自分自身の成長、これからのプランについてだらだらと書いていきます
この3年間について
まずはこの3年間の振り返りをできるだけ簡潔にしていきます。
まず2019年9月に満を持してシドニーでのワーホリ生活がスタートしました。当時のプランは2年間ワーホリして大人しく日本に帰って就活して、総合商社に就職して、会社に尽くして、順調に出世して30歳くらいまでには結婚して子供ができて、持ち家も車もあってみたいな、ほんで60歳くらいで退職して、その後はゆっくり的な感じで、ほんまにほとんどの日本人の人達が考えているような生活を送るつもりでした。しかしながらいつの間にかいい意味でこの人生設計が狂うことになりました。
2020年の3月から2年目のビザの要件を満たすために農業の仕事に行きました。まず行く前に車で行こうと決心して中古車を購入し人生初のマイカー手に入れました。そして片道1200㎞の道を3日間で行き農業の仕事をスタートしました。そこで7月まで滞在しその後また車でシドニーに帰ってきました。まあなんといってもこの2020年の3月と言えばコロナですよね、これのせいで世界中の人々の生活に支障が出たのは言うまでもない。ところがどっこい、実はこのコロナが私自身には多大な恩恵をもたらしてくれました。今となればですが、、、そして2020年7月から2022年5月まではずっとシドニーで生活をしました。そして2022年5月より鉱山関係の仕事のためにパースに引っ越してきて現在に至ります。
英語について
少し遡って話すと、私は高校時代英語がとても苦手で大学受験時も河合塾の模試で偏差値40に乗るくらいでした。当時仲の良い友達にもそれじゃ英語が足を引っ張って志望校行けへんぞと言われていたくらいで、最終的にはセンター試験の英語は200満点中100点を取りました。河合模試は嘘を付かないなと身に染みて感じました。そんなことは置いといて、今でも決して誇れるような英語力はありませんが、渡豪して半年経ったタイミングでIELTS Generalを受けました。その時はOA6.5でそこまで悪くありませんでした。その時と今を比べると確実に変わったことがあります。それは以前は圧倒的にリーディングに自信があったんですが、今は明らかにスピーキングとリスニングの方が自信があります。やはり生活する中で使用頻度が明らかに高いのと、それに伴いスピーキングとリスニングに重きを置いた勉強をし、その代わりにリーディングに関した勉強をほとんどしなくなったからだと思います。現在では基本的にはコミュニケーションで困ることはありません。今までシドニーにいた時は基本的にはアジア人の方々と仕事をしていたんですが、パースに来て今の仕事を始めてからヨーロッパや南米の方々と一緒に働く機会がほとんどで今まで喋っていた英語が伝わらないことが増えました。理由としてはおそらくアジア圏の人々はヨーロッパや南米の人々と比べて日本人と交流する機会が多く、日本人の英語の癖を知っているからかなと思います。それをきっかけとしてホントに基礎中の基礎であるフォニックスや発声方法から学び直したのがつい数ヶ月前です。結局は自分の英語がまだまだ未熟であるだけですが、その点に気づけて改善しているという過程がとても大事だと考えます。最近はTED Talkでリスニングの勉強を始めたりと日本で英語を勉強している方々と全く同じようなことをしています。基礎固め・英語学習に終わりはないなと常々感じております。
人としての成長について
この3年間での成長は、「自分で選んだ道と人に流されて進む道の明確な違い」に気づけたことです。今までの人生では基本的に周りの人に流されて生きてきました。例えば小学校3年生で始めた少年野球も仲の良い友達がやっていたから。大学受験もなんとなく周りが勉強を始めたから、志望校も多くの人が関関同立・産近甲龍やからとりあえずそこらへんにして。大学に入ってからもなんとなく授業行って単位取って、、、大学2回生の時のシドニーへの2か月間の留学も、周りで短期留学行ってる人がちらほらいたのと、お兄ちゃんがドイツに交換留学した経験があったから行ってみるかみたいな感じでした。もちろん最終的な決断はすべて自分自身でしたが、その過程のほとんどが自分の意志ではないものであったことに間違いないです。しかしながらそのシドニーでの留学後から少しづつ変わっていき、オーストラリアのワーホリに2年間いく決断をしました。これに関しては計画の段階から全て自分の意志であるし、またそれに伴い責任感と満足感がついてきました。この2つの感情がさらなる道を開いていき、結果として今もオーストラリア滞在している要因だと考えます。要約すると、自分がやりたいと思ってやっていることには責任が取れるし、それを達成するために一生懸命になり、その結果道が開けてくるということです。
今後の展望
コロナウイルスの蔓延に伴い当初予定していた計画は完全に狂わされてしましました。いい意味で。まずコロナ関連のビザのおかげでオーストラリア滞在を伸ばせたこと。またコロナに対する日本政府の対応を国外から見て他国と比較することができたことにより、この国にこのまま死ぬまで税金を納め続けていいのかなと思ったからです。オーストラリアでロックダウン中に収入が減った人のために毎週$750、当時の日本円だと週6万円ほどもらっていました。それがオーストラリア国民だけではなく、私たちみたいな一時滞在者にまでも。それを合計で2,3か月分もらいました。またロックダウン後はコロナにかかったら治るまで週に$700もらえました。とにかくロックダウンも徹底していてとても厳しかったです。単純にオーストラリアと比較ばっかりするのは良くないということは分かっています。でも今回の未知のウイルスの蔓延により国民がほんとに困っている時に1度きりの10万円だけを配り、全力で助けようとしない政府のために高い税金を払いたくないのです。結局日本の政治家なんて自分の地位やお金しか考えてませんから。国民のことなんて二の次、三の次だと思います。そのような政治家ばっかりだから日本の経済成長も30年間滞っているのも事実ですし。もちろん政治家だけのせいではありませんが、国のトップがなんらかの形で舵をきっていれば、少しは変わっていたかもしれませんね。もちろん一日本国民として良い国・魅力的な国にもう一度戻ってほしいと強く願っています。
このようにして自分の国の事を俯瞰的に見れたおかげで、勢いがあり成長を続けているオーストラリアの永住権の取得を目指そうという気持ちを強く抱き始めました。また残業なども基本的になく、有給休暇も多い上にしっかりと消化できる、さらに病欠もあります。基本的に仕事よりも家族との時間が大切という文化が根強いのでワークライフバランスもしっかりと保てます。それとオーストラリアは基本的に大きな地震がなくさらに台風も来ないため自然災害の脅威も日本と比べるとかなり少ないです。
このような要因も絡み合って、今後のプランとしては遅くても2025年2月までには大学院進学をして2年間ITを学び、卒業し職歴を積み、31歳くらいまでには永住権取得をするというプランです。もしもダメであっても英語でのITの職歴があれば選択肢がかなり増えるので他の国でも就活できますし、また最悪日本に帰ることもできます。
というのが現状の計画です。またすぐに変わる可能性も全然あり得ますが、それはそれでいいんです。
最後に
私自身はオーストラリアに来てほんとに人生が変わりました。もちろんたくさん失敗も辛い・寂しい思いもしました。でも異国の地で自分のやりたいことをやって少しずつですが自分の人生を切り拓いている最中です。まだ成功はしていませんが。でも、もしもやりたいことがあるけどなかなか一歩踏み出せないという人は、一度自分自身と向き合って、これから先どのような環境に身を置いて、どのような人生を歩みたいかちょっと考えてみてください。
少しでもみんなの背中を押せたら光栄です。
以上。
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